2021.10.11
連載:大阪の短い政治史を振り返る③「大阪都構想について」
幹部議員が語った政策のルーツ
ところで8年前のことである。維新を立ち上げた幹部議員の1人と差し向かえで酒を飲んだときのことだ。ちょうどいい機会だと思い、以前から聞きたかったことを質問した。
内容は「なぜ都構想を政策に据えたのか」というものである。対して幹部議員いわく、「維新を立ち上げたのはいいが目玉政策がなかった。そこで、昔から言われ続けてきた府市の統合を全面に押し出すことにした」。
まさに大阪府と自民党府議団に受け継がれてきた都構想が、維新になって再び顕在化したといってよいエピソードだろう。
では、大阪府に脈々と受け継がれてきた都構想を橋下や維新が口にしたのはいつなのか。これは橋下が府知事だった2010年1月のことだ。大阪維新の会が結党されたのは2010年4月。その3ヶ月前である。
府市再編の計画はシンガポール訪問の影響か
当時、ベトナムとシンガポールを公式訪問した橋下は、同行した記者たちに「府市再編プラン」というアイデアを披露した。府市を統合して巨大な都市に再編するというもので、これが現在の維新版・都構想の下敷きになったと思われる。
では、なぜ海外訪問最中での発表だったのか。これはシンガポールという小国が関係している。
シンガポールはアジアでも屈指の経済成長を遂げながら、その面積は東京23区を少し大きくした程度でしかない。驚異的な国際競争力を誇る小国を目の当たりにした当時の橋下は何を考えたのだろうか。
あくまでも想像だが、「大阪をシンガポールのような強い経済力を持つ都市にしたい。そのためには、府と市を一度ばらばらに解体し、大阪都に再編するしか道はない」という考えに至ったのではないか。
なお橋下は、海外訪問から帰国した会見でも「府市再編プラン」を打ち出した。それ以降、関西のマスコミは「府市再編」「大阪都」という文字を報道するようになったのだ。