2021.08.10
吉富 有治

橋下徹という政治家について

大阪の政治を振り返ってみたいと思う。

特に大阪維新の会(以下、維新)の結党から今日までの約11年間の歴史を、直接取材した立場の人間として語っておきたい。ささやかでも「歴史の証言」になると考えるからだ。

昨今はSNSの普及でメディア発の情報などがあふれかえり、誰でも入手は容易になっている。

だがその一方で、つい数ヶ月前、数年前の出来事が正反対の意味で語られ、間違ったままの情報があっというまに拡散されてしまうこともある。

「歴史の捏造」とまでは言わないが、誤った情報が猛スピードで広がっていく現在の情報社会は決して褒められたものではない。それだけに自身の記憶をなるべく正確に記しておくのは後世のためにも意味があると思っている。

さて、ここ11年の大阪の政治と、それ以前の政治史とでは明らかな相違点が存在する。良くも悪くもマスコミが持ち上げるカリスマ的人物がいたかどうかである。

その意味で絶対に欠かせない人物がいる。

大阪府知事と大阪市長を務めた橋下徹氏(以下、敬称略)である。彼を語らずして大阪の政治史は語れない。良くも悪くも、橋下は大阪人の政治意識を変えた人物だった。

橋下徹氏との出会い

私と橋下との最初の出会いは、彼が大阪府知事選に出馬表明した2007年12月だった。

ある週刊誌の依頼で支持者回りをしている橋下を取材した。初対面の印象は「話術も上手そうだし、ラグビーをやっていただけあって良い体格をしている」である。

他の記者たちとの囲み取材が終わり、私は橋下に声をかけた。

互いに名刺交換を済ませた後、「大阪府市の歴史と暗部をこの本で勉強してもらえればと願い持ってきました」と、私は持参した拙著『大阪破産』(光文社)を手渡した。

拙著を受け取った橋下は、さわやかな笑顔で「わかりました。ありがとうございます」と応えていた。なかなかの好青年だと感じたものである。ただし、実際に読んだかどうかは不明のままである。

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2008年、大阪府知事に就任
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