連載:大阪の短い政治史を振り返る④ 最終回「大阪の10年」
ジャーナリストの吉富有治さんに、大阪の政治史についてご寄稿いただいておりました。連載は全4回、本記事で「大阪の短い政治史を振り返る」シリーズ完結です。
前回の連載記事はこちら▷連載:大阪の短い政治史を振り返る③「大阪都構想について」
昔のチルドレンも今や党の牽引役に
政治家の中に「チルドレン」と呼ばれる一群が存在する。古くは小泉チルドレンや小沢チルドレンであり、比較的最近では安倍チルドレンがそうである。
もっとも、チルドレンという政界用語は、あまり良い意味では使われない。「親の七光り」ではないが、親分である政治家の威光を借りて当選した者が大半で、大した実績を残さないまま政治家として居座ったり、いつしか消え去った者も少なくないからだ。
大阪にも、このチルドレン世代が存在する。大阪維新の会が躍進するきっかけになった2011年4月の統一地方選で、橋下徹代表(当時)の人気に後押しされて誕生した大阪府議や大阪市議たちである。
当時、彼らは「橋下チルドレン」と呼ばれた。そのチルドレンたちも、今や中堅の地方政治家になり、国政に進出した者も少なくない。中には維新に絶望して政界を去った者もいる。
当時の維新は、いわゆる大阪都構想を看板に掲げ、その実現に向けた作戦をスタートさせていた。
作戦の第一弾は維新政治家を大量に生み出すことである。大阪府議会と大阪市議会、また堺市議会で維新が単独過半数の議席を取らないことには都構想の実現は不可能だからである。
そこで2010年4月、維新は政治家の卵を公募した。そこから選ばれ、翌年4月の統一地方選で当選した若い世代が橋下チルドレンと呼ばれたのだ。
この公募で、1次公認に応募した者は計80名もいた。職業も様々で、サラリーマンもいれば弁護士、元モデルもいた。最終的に4次公認まで計200名以上の志望者が集まった。公認を得た者は計119名。
途中、個人的な理由で2名が公認を辞退したが、誕生したばかりの地方政党に、これほど多くの新人候補が挑戦するのは前代未聞のことだった。維新人気、橋下人気がいかに凄いかがわかる。
もっとも、公募からこぼれ落ちた人たちの恨み節も聞こえてきた。たとえば、「公認の基準は、結局はカネ。統一地方選の費用は党費に頼れない。自分で全額用意できるかが最大の基準のようだ。人物本位や論文の内容ではない」という声も聞こえてきた。
このように苦い顔をした男性は一流企業に勤めるエリート社員で、話術も上手い。見せてもらった課題論文は、大阪の現状や問題点、そのための解決策にまで及んでいた。
他の政党なら合格していた可能性があったと思われるが、維新の面接で「家庭の事情があってカネがなく、選挙費用は出せない」と率直に語ったことが不合格の理由になったようである。この男性以外にも同じ理由で落選した志望者は多くいた。
ただし、当時の維新は生まれたばかり政党で今と違ってカネがない。地方選挙なら400万円前後の選挙費用を自前で用意することが政治家になるための第一条件だ。
維新に限らないのかもしれないが、カネは政治家になるための最初のハードルだといえる。