連載:大阪の短い政治史を振り返る②「大阪都構想について」
行政の関係者が語る当時の様子①
当時の磯村隆文元市長(故人)は太田への対抗措置として、逆に大阪市の権限を大阪府以上に強化する「スーパー政令市構想」を打ち出した。これは府県から独立する「特別自治市」に近いものだ。
この当時のことを大阪市の某幹部職員が解説してくれたことがあった。大阪市が猛反発した理由についてである。
某幹部が言うには、磯村が対抗措置を打ち出したのは交通局や水道局、環境局といった現業部門が猛反発したからだという。太田時代の都構想は、市の現業部門を独立行政法人のような形にして残すもので、そのため職員は公務員の身分を失うことを恐れて猛反対したという。
大阪市では現業部門の職員が多く、彼らは市長選などで一定の影響力を持っていた。巨大な政治力を持つ現業部門の職員に市長といえども逆らえない。このことも大阪市が都構想に反対した理由の1つであるようだった。
太田も予期せぬ大阪市の反発に配慮したのか、その後、都構想はソフトな改良が加えられることになった。府市の再編は行わず、政令市・大阪市を残す形で「大阪新都構想」という形で妥協点を探ろうとした。
「都」が「新都」になったわけである。ただし、「都」と「新都」では中身がずいぶんと違う。
大阪府が2004年10月に公表した『大阪都市圏にふさわしい地方自治制度』によれば、新都構想では、大阪府を廃止して「大阪新都機構」という広域連合に再編し、大阪市は残すとしていた。
新都機構は国から権限や財源の移譲を受けて都市基盤の整備事業などを行う。一方、市町村は大阪府から権限を譲り受け、基礎自治体として住民サービスを行うというものである。現代の都構想とはずいぶん方向が異なっている。
もっとも、大阪府の真の狙いは別にあったと、大阪府の関係者が打ち明けてきくれたことがあった。いわく、「大阪市は残しても、いずれ大阪市の権限を徐々に縮小させていく」というのである。ここにも今と同様、大阪府の大阪市に対するライバル心、いや怨念めいたものが垣間見える。